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大阪高等裁判所 昭和61年(う)418号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人作成の控訴趣意書、弁護人良原栄三、同市野勝司、同上野正紀、同野間友一、同田中征史、同山﨑和友、同岡本浩、同阪本康文、同由良登信連名作成の控訴趣意書及び弁護人良原栄三、同市野勝司連名作成の控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官永瀬榮一作成の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  公訴権濫用に関する主張について

論旨は、本件公訴の提起は、客観的嫌疑に基づかず、日本共産党へ打撃を与えるという政治的目的のために、違法な捜査に基づいて行われたものであるから、原審裁判所は、公訴権の濫用として、公訴棄却の裁判をすべきであったのに、原判決が本件公訴提起は公訴権を濫用したものでないと判示したのは、誤った事実認定に基づき、不法に公訴を受理したものである、というのである。

しかしながら、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合がありうるが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解すべきであるところ(最高裁昭和五五年一二月一七日第一小法廷決定・刑集三四巻七号六七二頁参照)、被告人につき原判示のとおりの法定外文書頒布罪が成立すること、及びそれが極めて軽微な事案とまではいえないことは、後述するとおりであり、関係証拠を総合しても、本件捜査が所論のような政治的目的でなされたとは認められず、また本件捜査に所論のような違法があったともいえない(警察が組織的、計画的に行われた疑いのある違法な選挙運動を探知した場合に、直ちにこれに警告することなく、証拠の収集等の捜査活動を行い、投票日以降にこれを摘発したからといって、これが違法な捜査活動であるといえないことは明らかである)。なお、弁護人は、当審弁論において、本件起訴は、障害者差別の起訴であるとか、明らかに軽微であって可罰的違法性のない事件についての起訴であるとも主張するが、被告人に後述のような言語障害があったが故に、本件公訴提起がなされたと認めるべき証跡は見当たらないし、本件が可罰的違法性を欠くとはいえないことは後述するとおりである。以上によると、本件公訴の提起が公訴権濫用に当たらないことは明らかであり、原判決に公訴を不法に受理した違法はない。論旨は理由がない。

二 公職選挙法(以下、公選法という)一四二条一項、二四三条一項三号(昭和五七年法律第八一号による改正前のもの、以下同じ)の憲法違反をいう主張について

論旨は、①公選法一四二条一項、二四三条一項三号は憲法二一条一項、前文、一条等に違反し無効であり、②仮に合憲的に解釈される余地があるとしても、右規定を言語障害者である被告人の本件行為に適用することは、憲法二一条一項等に違反するから、これらの規定を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで検討する。

1 第一に、公選法の右各規定及びこれらを本件のような類型の事案(但し、被告人の言語障害の点はここでは除外して考える)に適用することが憲法二一条等に違反するものでないことは、最高裁判所の累次の確立した判例(昭和三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号八一九頁、同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五六一頁、同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁、同五七年三月二三日第三小法廷判決・刑集三六巻三号三三九頁、同六一年二月二〇日第一小法廷判決・裁判集刑事二四二号七七頁、同六一年七月七日第二小法廷判決・裁判集刑事二四三号九一頁、同六三年二月二三日第三小法廷判決・裁判集刑事二四八号三一三頁、同六三年九月二九日第一小法廷判決・裁判集刑事二五〇号二六九頁、平成元年九月一四日第一小法廷判決・裁判集刑事二五二号四二三頁等参照)に照らし明らかである。

2 第二に、公選法の右各規定を言語障害者に適用することが所論のように違憲と解されるのか否か、すなわち、公選法の右各規定は言語障害者には適用されない旨の合憲的限定解釈をしなければならないのか否か、について検討する。

昭和五五年六月二二日施行の本件選挙当時の法制下において可能な選挙運動の方法は、(1)法定葉書の郵送、(2)法定ビラの新聞折込み、選挙事務所内における頒布、立会演説会の会場の入口における頒布(当該会場内において行うものを除く)、個人演説会の会場内における頒布又は街頭演説の場所における頒布、(3)街頭における個々面接、(4)電話などであるところ、言語障害者が(1)(2)を行うことは可能であるが、(3)(4)を単独で行うことは、言語障害の程度にもよるが、事実上不可能な場合のあることは、所論が指摘するとおりであって、選挙運動に関し言語障害者と健常者との間に実質的不平等が存することは否めない。

しかしながら、言語障害者も個々面接の際筆談によって投票依頼をすることは可能であり(文字を十分学習していないため筆談もできないことがあっても、それは社会のあらゆる場面に存在する様々な能力差によって受ける類の不利益の一つである)、また、選挙運動は集団活動として行われるのが普通であって、言語障害者も健常者と共に行うことができるものであるから、言語障害者に前記(3)(4)に相当する選挙運動の途が全く閉ざされているものとはいえない。そして、仮に言語障害者には公選法一四二条一項、二四三条一項三号が適用されないとすると、言語障害者は無制限に文書を頒布できることとなり、かえって健常者との権衡を失することになるうえ、健常者が脱法的に言語障害者を利用する事態が考えられるので、直ちに右のような限定的解釈を施すことはできない。

弁護人は、当審弁論において、公選法の右各規定を言語障害者に適用することは憲法一四条一項に違反する旨主張するが、憲法一四条一項は、法的取扱いの不均等の禁止を意味するにとどまり、現実に社会に存在する経済的、社会的その他種々な事実上の不均等を是正してその実質的平等を保障するものではないから、言語障害者と健常者の間の事実上の不均等を理由に公選法の右各規定を言語障害者に適用することが憲法一四条一項に違反するということはできない。

もっとも、立法政策上、公選法が法律上の要件を満たした身体障害者らの選挙権の行使について一定の配慮をしている(公選法四七条ないし四九条参照)のと同様に、選挙運動についても、健常者と言語障害者との間に存在する事実上の不均等を、健常者以上の文書頒布を許すことによって埋め合わせるということも、十分検討に値するであろう。しかし、そのような立法をする場合には、①言語障害者の判定基準や判定手続(言語障害の程度にも様々なものがある)、②言語障害者と判定された者の現実の選挙運動の場面における識別方法(たとえば身体障害者らが使用する車両に関する駐車禁止除外指定車標章のようなもの)、③頒布の許される文書の種類、数量の限定、④頒布が許された文書であることの識別方法、⑤頒布の態様の限定などに関する規定を設けることが必要不可欠と思われる。なお、このようなことが、裁判所の法解釈の範疇に属しないことはいうまでもないところである。

所論は、公選法の右各規定を言語障害者に適用することは不当な結果をもたらすから、これを理由にその全部を違憲と解すべきであるとも主張するが、これが採用できないことはこれまで述べたところから明らかというべきである。

3 第三に、所論は、更に次のような事情を指摘して、公選法の右各規程は本件に適用する限度で違憲と解すべきである、とも主張する。

①被告人は、幼少のころから生活苦と病苦に苛まれ、尋常小学校もまともに終了できず、顔面、特に口腔部に重大な傷痕を有するため、外出時には、常にマスクをかけ、発声・言語表現が極めて不自由であるため、初めての人には被告人の言語が理解しにくい状況にある。被告人は、右のような生活・身体状況のため、政治に関心を持つことはなかった。

②被告人は、昭和五五年の国政選挙において、日本共産党の衆議院議員候補者であった井上敦の演説を聞き、その内容に生きる希望を感じ深い共感を覚えたことから、井上敦と日本共産党につき、自身の共感と同じものをできるだけ多くの人々に共有してもらいたいと考え、そのために自分でできる限りのことをしようと考えるに至った。

③被告人は、早速近隣の者に井上敦の述べたことを伝え、同人や日本共産党の主張を紹介すべく行動を開始したが、言語障害のため、思うように意を伝えることができなかった。

④そこで、井上敦後援会の者らが持って来ていたパンフレット等を頒布し、その支持を訴えたのが本件である。

⑤前述のような被告人の身体状況からして、被告人が選挙活動に参加しようとするなら、本件文書のようなものを頒布することこそが、最良かつ唯一の手段であり、これを封圧されることになれば、選挙運動の途を全く奪われるに等しい。

しかし、右①ないし⑤のような本件に固有の具体的諸事情は、本件行為の違法性や責任等犯罪成立要件のレベルで考慮すれば足りるのであって、これらの事情の故に本件限りの適用違憲の問題が生ずると解することはできない。

なお、弁護人は、当審弁論において、公選法の右各規定及びその本件への適用に関して、憲法の前記以外の条項(原理原則を含む)やいわゆる国際人権規約B規約との違反をも主張するが、いずれも採用できないことは、これまで述べたところから明らかというべきである。

4  以上のとおりであって、原判決に所論のような法令適用の誤りがあるとはいえない。論旨は理由がない。

三  構成要件該当性を争う主張について

論旨は、本件各文書は公選法一四二条一項にいう選挙用文書に当たらないのに、これに当たるとした原判決は事実を誤認したか法令の適用を誤ったものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、本件文書の形式・内容は、次のとおりである。

①小巻敏雄のパンフレット

12.7センチメートル×18.5センチメートル一〇枚綴りのもので、同人の紹介、業績、抱負、同人に対する期待などが顔写真等の写真多数を入れて記載されている。

②井上あつし、黒木きよし、小巻としおのパンフレット

四枚綴りのもので、一枚目は14.5センチメートル×19センチメートルで、「投票日は 目の前 死力をつくし 最後の最後の追込みにかける(衆議院)井上あつし (参議院地方区)黒木きよし (参議院全国区)小巻としお に いま あなたの お力ぞえを 井上、黒木、小巻御坊後援会」などと記載されており、二枚目以下に、投票用紙に記載すべき候補者名等が書いてある。

③井上あつしのビラ

19.5センチメートル×26.5センチメートルを二つ折りにしたもので、一頁相当部分に氏名、顔写真があり、「紀州紀南の声を国政へ、実行力抜群・心のかよう政治家」と記載されており、二・三頁相当部分に「国会活動七ケ月でこの実績!!、紀南と国政を結ぶ!! 井上代議士、庶民の政治家井上さんを再び国会へ」などと題して同人の業績、後援会長の呼び掛けなどが記載されており、四頁相当部分に「・・・皆さん、一人でも多くの方に支持の輪をひろげていただきたい、再び、井上あつしを国会に送って下さるようお願いします。力一杯頑張ります」などという同人の「ごあいさつ」と略歴の記載があり、その一部が井上あつし後援会申込書(一名用)となっている。

④井上あつしのビラ

③の一頁相当部分をコピーしたもので、その裏が後援会申込書(六名用)となっている。

⑤黒木清、小巻敏雄のビラ二種類

③に類似する形式・内容のもの。

⑥これらの文書が二部ないし六部入っていた茶封筒(角五号封筒)二種類

一種類は、表面に二人の顔写真が並列され、各写真の右横及び下部に、「小巻敏雄(全国区選出参議院議員) 教育で日本の未来をひらく政治家」、「黒木清(党県経済政策委員長) 和歌山と国政を結ぶ新しい政治家・経済の専門家」との説明が記載され、下端に「小巻・黒木後援会」及びその所在地・電話番号が記載され、もう一種類は、表面上から下に三人の顔写真が並べられ、各右側に、「井上あつし(前衆議院議員) 紀州紀南の声を国政へ 実行力抜群・心のかよう政治家」、「黒木清(党県経済政策部長) 和歌山と国政を結ぶ新しい政治家・経済の専門家」、「小巻敏雄(全国区選出参議院議員) 教育で日本の未来をひらく政治家」と記載され、下端に「井上・黒木・小巻後援会」及びその所在地・電話番号の記載がある。

以上のとおりであり、このような本件各文書が「その外形内容からみて選挙運動に使用する趣旨が推知されうる文書」(最高裁昭和三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号二〇七頁、同昭和四四年三月一八日第三小法廷判決・刑集二三巻三号一七九頁参照)に当たることは明らかである。論旨は理由がない。

四  故意がないとの主張について

論旨は、被告人には、公選法一四二条一項、二四三条一項三号の罪を犯す故意はなかったから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、被告人が本件文書を頒布するに至った経緯をみるに、被告人の司法警察員に対する供述調書、原審第三回、第一〇回公判における供述、陳述書等によると、被告人は昭和五五年五月ころ顔見知りの青年から「これ選挙のビラやさかい、すいませんけど配ってくれませんか」と言われて本件文書を受け取り、そのころ少なくとも本件文書の一部を見ていること、同月末ころから少しでも井上敦の役に立つのならと思い、同年六月二二日の投票日に一人でも多く投票してもらいたい趣旨で同文書を頒布したことが認められる。右事実によれば、被告人に公選法一四二条一項、二四三条一項三号の罪の故意があったことは明らかであって、原判決に所論のような事実誤認のかどは認められない。論旨は理由がない。

五 違法性・責任に関する主張について

論旨は、①言語障害者は、文書による選挙運動が禁止されると何もできないから、言語障害者の文書違反行為については、特に行為態様が悪質で実質的にみても明らかに選挙の公正を害しているというような特段の事情がない限り実質的違法性はないと解すべきところ、被告人の本件行為は、何ら法益を侵害していないから、実質的違法性がない、②仮に被告人の行為に法益の侵害があったとしても、被告人は国民として政治的な意見を表明したものであり、守ろうとした法益の方がはるかに大きいから、違法性が阻却されると解すべきである、③被告人の本件行為は可罰的違法性を欠く、④被告人は自分の思いを言葉で相手に伝えようとしたが理解してもらえず、字も書けなかったために、自分の気持ちを他に伝える唯一の方法として本件行為を行ったのであるから、その責任が阻却されると解すべきである、したがって、被告人を有罪とした原判決は、法令の適用を誤ったものであり、また、⑤原判決は原審における弁護人の右②③と同旨の主張に対し判断を示していないから、刑訴法三三五条二項に違反する訴訟手続の法令違反があり、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討する(前記二3における所論指摘の諸事情についてもここで併せて検討する)。

1  まず、被告人の言語表現能力についてみるに、関係証拠によると、被告人は、生後二か月目に唇に小さなアザが現れ、歩き始めるころには右頬にもアザができ、頬と唇の部分に腫れが生じ、小学校に入るころには右腫れが次第に大きくなり、その部分に痛みが出るようになったこと、医師の診断を受けてもその原因が分からず、長ずるに従って腫れが大きくなって鬱血し、海綿状血管腫が顔面、頸部にまで広がり、膨隆してその部分にも痛みが生じたこと、その後血管腫は右頬、下唇、下顎部、頸部、口腔内、舌にも及び、言語機能にも障害が生じ、昭和三三年五月二日「下口唇、舌尖部の腫瘤による言語機能障碍三の二」により身体障害者等級四級の認定を受けたこと、昭和四〇年血管腫除去の手術を受け、舌の右半分を除去し、右下顎、右頬骨弓をも切除したが、その後も経年的に顔面、頚部、舌、軟口蓋等に海綿状血管腫が再膨隆し、被告人は発語障害のほか、咀嚼障害、右頬部腫脹、舌腫脹、軟口蓋腫脹、兎眼、流涙、右顔面疼痛に苦しめられていることが認められる。以上のような身体障害等により、本件当時、被告人の言語表現は不明瞭であり、初めての人には理解しにくいものであったことは、所論指摘のとおりと思われる。

しかしながら、被告人は、昭和五五年一二月二五日自宅において検察官土橋一夫の取調べを受け、供述調書が作成されているところ、右調書の内容及び当審証人土橋一夫の供述によると、当時被告人の発言が右検察官に理解可能であったと認められる。被告人作成の陳述書は、冒頭の「弁護士にお願いして、私の感じるま、に申しあげます」との記載からして、被告人の言うことを弁護人に筆記してもらって作成したものと認められるから、弁護人が被告人の発言を理解できたことが明らかである。被告人は、かなり長文の控訴趣意書を提出しているが、これには、「私の話を守る会の方々に聞いてもらって文章にしてもらいました。聞き取りにくい言葉を長い時間かけて文章にしてくれたのです」と前置きしてあり、被告人の発言が「守る会の方々に」理解できていることも明らかである。これらの事実に照らすと、被告人は本件当時聞き手が十分な注意を払えば理解可能な程度の一応の言語表現能力を有していたものと認められ、当審証人川野通夫、同山本長生の各供述をもってしては、右判断を動かすに足りない。

なお、弁護人は、当審弁論において、被告人の司法警察員に対する昭和五五年七月一日付供述調書につき、これは取調官の中村喜代治が被告人の言語を聴取することなく、既知の事実を記載したものであるという。なるほど、当審証人中村喜代治の供述には不自然な点も見受けられるが、本件文書が被告人方に届けられた時期・回数・数量、届けに来た者の人相、面識の程度、その者が井上敦後援会事務所の関係者であると思われる理由、二回とも同じ者が届けに来たこと、その者が発した言葉などの点は、中村にとって既知の事実であったとは思われない。また、弁護人は、原審公判調書に記載されている被告人の供述は速記録であって、速記録は反訳処理がなされているから読みやすく、理解しやすいのは当然であり、事件に関して既に証言が行われたり記録に現れている事項は比較的再現されているが、被告人の生活や思い等聞き手にとって予想が困難な発言部分は聞き取れておらず、意味不明となっている、旨主張する。しかし、弁護人が意味不明であると指摘する二か所合計四一字は意味が定かでないが、被告人の生活や思い等を述べたところが十分再現されている部分もあり、更に、弁護人の問を離れて答え、弁護人からこちらから聞いたことに答えてほしいとたしなめられた部分などは問答を逐語的に再現したものと窺われることなどからすると、録取者が速記官であり、反訳処理がなされていることを考慮しても、被告人が原審公判当時一応の言語表現能力を有していたことを認めることができる。所論はいずれも採用できず、前記被告人の本件当時の言語表現能力についての判断は動かない。

2  次に、被告人が本件文書を頒布するに至った経緯についてみるに、被告人は、原審公判において「昭和五五年白浜のハマブランカで行われた井上敦の演説会に夫の金兵衛と一緒に参加し、井上敦の話に感銘を受け、生きる望みが出てきた。同年五月一〇日ころ、一回どこかで見たことのある人から、これ、選挙のビラやさかい、すいませんけど配って下さいと言われて、封筒へ入ったもの二〇か三〇個をそのまま受け取った。選挙のビラやと思ったが、井上さん関係のものが入っているかどうか知らない。封筒に井上さんの写真があったが、中身は見ていない、漢字など読めず、どんなことが書いてあるか全然わからない。なるべく早く配って下さいと言われていたが、体が悪くて寝込んでおり、体の調子のいい日に配った」旨供述しているのであって、これによると、「言語表現の不自由な被告人が、自己の意思表現の補助手段として本件各文書を利用した」とはいえない。

3  ところで、言語障害者の文書違反行為も健常者の文書違反行為も行為の客観面において異なるところはなく、前記1の被告人の言語表現能力の程度や2の本件文書頒布に至る経緯からすれば、被告人が個々面接の方法による選挙運動を行うことが不可能であったとはいえず、また、健常者と共に選挙運動を行うなど他にとるべき手段がなかったともいえない。更に、本件行為の態様、及び公選法が選挙の自由、公正の観点から文書図画の頒布に一定の制限を設けたことには合理的な理由があること(二1に掲記の判例参照)を総合考慮すると、本件行為につき、所論①ないし④のように違法性又は責任が欠ける(又は阻却される)などと解することはできない。また、原判決は(弁護人の主張に対する判断)四3の項で所論②③と同旨の弁護人の主張を排斥する趣旨の判断を示していると解される。論旨はいずれも理由がない。

六  公選法二五二条の憲法違反をいう主張について

論旨は、①公選法二五二条は、本来公民権を停止すべきでない戸別訪問禁止規定や文書頒布制限規定に違反した者に対してまで一律に原則として公民権を停止するもので過度に広範な規制であるから、憲法前文、一五条等に違反して無効であり、②仮にそうでないとしても、右規定を本件に適用するのは憲法の右条項に違反するから、右規定を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、所論のような理由により、公選法二五二条の規定自体ないしこれを本件に適用することが憲法に違反するといえないことは最高裁判所の累次の確立した判例(昭和三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二一七頁、同五九年二月一五日第一小法廷判決・裁判集刑事二三六号一頁、同六〇年一二月一〇日第三小法廷判決・裁判集刑事二四一号三六九頁、同六一年一二月一一日第一小法廷判決・裁判集刑事二四四号四一九頁、同六二年一月三〇日第二小法廷判決・裁判集刑事二四五号四九五頁参照)に照らし明らかである(なお、本件は、九名方において、候補者の氏名、顔写真、略歴等を記載した選挙運動用ビラ、パンフレットなど合計四五枚を頒布した事犯であって、犯情が軽微とはいいがたいから、原判決が被告人に対し二年に短縮して公民権停止規定を適用したことが重すぎて不当であるとはいえない。)。論旨は理由がない。

七  むすび

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用につき同法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 重富純和 裁判官 川上美明 裁判官 安廣文夫)

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